"誕生日を祝う"ということ

世界の人々の中で一定の共通認識があると思われる"誕生日"という行事(?)。日本も例外ではなく、家族の誕生日にはプレゼントを送る、友人の誕生日にはサプライズパーティーをするなどの習慣があるみたい。

 

結論からいうと、私はこの『習慣』が非常に苦手。

理由は『自分が祝われる意味がわからない』から。

 

*これよりこの記事は自分語りをする場所とします。

私にも誕生日があります。が、それは家族から物心ついた頃から「この日が誕生日」と言われた、またはそういった意識を刷り込まれてきたから。確かに母親をはじめそういった自覚がある家族がほとんどだろうし、誕生日(とされる日)が近づくとその時の思い出話が毎年出てくる。そして免許を取得する時とかに戸籍を確認すると、なるほどやっぱりその日が誕生日らしい。

 

事実も証拠も揃っているために、生年月日を聞かれるとその日付を答えますが、正直なところ「私はこの日に産まれた!」といった確信はない。ゆえに他人と話している時に誕生日を聞かれると、一瞬わからなくなってしまう。

 

以上のようにもやもやした気分で誕生日を迎えると、私の場合は次のような疑問が出てくる。

 

『どうして今自分は祝われているのか』

 

産んでくれた両親、育ててくれた人に対して「おかげさまで**歳になりました。ありがとうございます」と感謝をする日であると個人的には思っている、それはわかる。そして家族や親族が無事に産まれてきてくれたこと、今日を生きて迎えられたことに感謝して、誕生日を迎えた人に対して「おめでとう」という文化もまぁ……個人的には若干引っかかる部分もあるけどまあわかったことにしよう。その表現として金銭だったりプレゼントが贈られる……この部分に関してはよく理解できない。このあたりから脳が警告を出してきます。

 

で、この状態で友人から「誕生日おめでとう!はいこれプレゼント!」みたいな事象が発生すると、もう訳がわからなくなってしまう。

 

なんで?どうしてあなたは私にプレゼントを渡した?

 

余程のことがない限り、友達に誕生日を訊かれたときに虚偽申告をしても問題はない(その必要性はなさそうだが)と思われる。恐らくその人は誕生日をその日だと理解して、その日にお祝いのメッセージを送るなどの『祝う』という行為をするのでしょう。

 

『祝う』

 

ちょっとよくわからないので調べると『めでたいことを喜ぶ』とある。

喜ぶ……、またここで筆が止まってしまう。

 

一旦置いておいて、逆の立場にあることを考えてみる。

 

私は周囲の人が誕生日(または近い)だと、プレゼントを渡したり、お祝いのメッセージをSNSなどで送ることがある(ここまで書いておいてなんですが)。それは『プレゼントを贈るまたはメッセージを送ることで誕生日を迎えた人が喜ぶ』または『自分はその人が今日も生きている喜ばしいことだと思っており、それを相手の節目(とされる日)に伝えたい』という心境がある。したがってこれは誕生日でなくても可能といえば可能である。

 

仮に他者が同じような考えに基づいて祝ってくれるのであれば、大変にありがたい話ではあるのだが、個人的には恐縮してしまうとともに

(もらいっぱなしでは申し訳ない、お返しをしなければ)(祝われたのだから、自分も喜ばなければならない……)

などと気を遣ってしまう。

最終的に『自分でも曖昧なモヤモヤとした誕生日というものを、他人が喜んでいて、それを見て自分もモヤモヤしたまま喜ばねばならない』という感情になる。私にとってこれは非常に苦痛なのです。この苦痛を避けるために私は他人に誕生日を教えることはほぼありません(祝われなくても他人に誕生日を教えるのは普通に怖い)し、サプライズやプレゼント関連の話でこういった話題が出るとその場から立ち去ったり話題を変えるようにしています。

 

で、ここで

 

なんでわざわざ避けるようなことを書くのか?祝われるとわかってもいないのに?

 

って思う方がいるはずなんですけど、ここからがある種の本題です。

 

高校時代に付き合っていた人が、誕生日にプレゼントとしてあるものをくれました。

それは『アルバム

 

百均で売ってるようなフォトアルバムにデコレーションをしたようなやつです。

中にはツーショットやプリクラを中心に、メッセージや思い出が可愛らしい付箋で貼られています。最後のページには米粒くらいの文字でぎっしりと手紙が書いてありました。読むのが大変。

 

事前申告した欲しいものと違ったのはさておき、びっくりしたのはアルバムの中身。もはや"誕生日を祝う"ことはそっちのけで"自分が書きたいことを書いて、貼りたいものを貼る"のがメインイベント。そしてそれを押し付けられたあたりから私は困惑してしまい……その場は喜んだ(言動をした)ものの、どうも理解ができません。わかったこととすれば、"相手の気持ちを考えずに自分の気持ちを押し付けてくるような言動をする人間だった"ことくらいでしょうか(もうこのあたりで世の人々からはいろんなものが飛んでくるでしょうね笑)。

 

で、当然ながら別れたわけです。

 

そして大学に入ってからまた別の人と付き合ったわけですが、この人はさらに上を行くような感じでした。

 

事前に誕生日のことについては(この記事の前半のような考えである)と伝え、いろいろ思うところがあるだろうけど、誕生日は何もしないでいつも通りに過ごしてほしい、とお願いしました。が、普通の人間はどうも理解できないらしく、一緒に飯を食べに行くだのなんだのと言い始めました。結果として当日、私は(交際相手を避けることを除いては)一人でいつも通りの生活をしました。

 

これでひと段落と思った翌日、とんでもない提案が。

 

誕生日を記念して二人で旅行に行く

 

はあ……?クソ忙しくなる年度末に……?海外研修とかもあるんだけど。

 

お金は私が全部出す

いやいやそーゆーことではなくてだ……。

 

私の誕生日のときには旅行したから

それはあなたにプレゼントを聞いたときに「旅行したい」っていったからプラン組んで行ったのであって……それも結局喧嘩しかしてなかったじゃないか……。

 

"わたしのしたいことを押し付けるフルコース"が襲来したことで頭の中は真っ白です。「あなたの誕生日のお祝いとして一緒に旅行したい。」なんで私はそれに体よく付き合わされるんですか、祝われたくもなければ喧嘩しかしないから一緒に旅行はしたくないっての。

 

これ以降、この人は年度末を前に忙しさを極めていた&重要な試験とかがたくさんあった私に対して、会うたびに旅行の相談しか言わないようになってしまいます。当然喧嘩も増え、別れるなどという物騒な言葉が飛ぶようになります。この時点で別れておけばよかったんですね、頭が悪いので賢く撤退することはできませんでしたが。

 

で、結論としては(人の金で旅行できるならしておくか)という邪な発想から旅行は承諾。場所は本当なら遠征で行きたかった北海道を選択。当然ながら人と旅行スタイルが全く違う(修行の方が近い)私が楽しめる予定は大幅にカットせざるを得ない(同じ趣味でない他人がいると気を遣いまくる&修行スタイルをスポンサーにけちょんけちょんにけなされた後に否定された)のでストレスは倍増。もはや都道府県塗りつぶしのために行くようなもんです。横にいるのは交際相手というよりはスポンサーに近い認識。お金を渡されて「行ってらしゃい」って言われた方がマシだったとも思います。つくづく自分は恋愛とかに向いてないなと思います。

 

当日。予定の飛行機が離陸する時間に私は起床。自分はしぶしぶ新幹線で現地へ。宿の予約を私の名義でしてしまったので……仕方ないね。

真っ暗な雪道を数時間運転したことが一番印象深かった旅行から帰宅したのち、すぐにコロナが流行ったのでこれ幸いにと別れました。話を持ち出したのは相手だったので、まあそういうことだったんでしょう。

 

そんなこんなでやっぱり私は誕生日が苦手です。特に祝われることを考えると気が重くなってしまいます。私の誕生日を覚えることができるなら、そのかわりに素敵な小説やいい絵を描く画家の名前を覚えたらどうでしょう。お祝いメッセージを送る時間でその日のガチャを回せばいいんじゃないでしょうか?祝う金があるなら家族に美味しいものを買って帰ってください。「いつもダイエットしてるけど今日はあいつの誕生日だしプリン食べてもいいか。」一見脈絡のない発言に聞こえますが、私はこれが最適解ではないかと考えています。自分が誕生日を迎えたとされることによって他の人がちょっと幸せになれるなら良いんじゃないですか。いちいち私に報告されると面倒ですが。

 

似たようなことを"クリスマス"にも思うことがありますが、あれはあれで違う部分もありますのでまた次回に。

 

とんでもない『お祝い』を避けることと、自分が気疲れしないために誕生日は教えていませんが、その点はご理解いただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こいつクズだなって思ったそこのお前。日本語読めるけど理解できないってことだぞ。